独学できない!という判断は、
独学をどう定義するか?で変わってきます。
なのに、その独学の定義は、実にあやふやなことが多いんです。
だから、
もし、あなたが、
- 自分は独学できない。
- 自分には独学は難しい。
そう思い込んでいるとしたら、
とても、人生を損していると思うので、
ぜひ、立ち読みしていってください。
独学を厳しくイメージしすぎ
独学のイメージは、
先生につかず、一人で黙々と本から学ぶ
これが、一番、一般的でしょう。
でも、別に独学だからって、
先生に一切、教えを請うてはならない!
という厳しい掟があるわけじゃないんです。
たとえば、
私は、初めて会社の決算を行った時、
書類を一目、見て愕然とした経験があります。
「いやぁ~わっかんねぇ~」と。
それでも、
「いやいや。もっと、じっくりやってみよう」
そう、気を取り直して、
ゆっくり、時間をかけて、一つ一つ、
税務署から送られてきた書類の説明を読みましたが、
それでも、3割ぐらいしか、埋められませんでした。
で、どうしたか?というと、
税務署に聞きにいきました。
この時、単に、
「書いてください!お願いします!」
と丸投げすれば、それは、独学ではありません。
でも、
来年からは、ちゃんと自分で100%できるように、
税務署の人に、教えてもらったのなら、
それは、ちゃんとした独学なんです。
ここを、どうも、勘違いしている人が多い気がするんですね。
天才じゃあるまいし、
人は、一人きりで、何でも学べるわけじゃありません。
もちろん、最初は、自分で必死に書籍やネットを調べたりして頑張ります。
でも、それでも、どうしても解決しない時には、
誰かに頼っていいんです。
独学とは、疑問を解決すること
つまり、独学とは、
自分の中の疑問を解決すること。
そう定義してもいいのかもしれません。
先生がそばにいるとか、いないとか、
カリキュラムがあるとか、ないとか、
シチュエイションは関係ありません。
自分から学ぼうと努力すれば、
おのずと、疑問が生まれます。
そして、その疑問を解決するために自ら行動をおこす。
その行動こそが、独学だと思います。
たとえば、
新入社員の中でも、
「はい。はい。」と返事はいいのに、
現実には、何もできない子と、
「いつのまに、そこまで覚えたの?」
という子がいますよね?
これだって、結局は、
独学の姿勢がある(能動的)か?ない(受身)か?だと思うんです。
独学の学は、学問の学ではない
ここまで、来ると、
「あれ?もしかして、独学って、私にも関係ある?」
そう思えてきませんか?
多分、今までは、
通信教育などの広告のイメージから、
独学の「学」=「学問」の「学」
そう思い込んでいた人も多かったはずです。
でも、独学ってね。
人が生きていく上で、生活していく上で、
間違いなく、必要なものだし、
意外に、多くの人が、
すでに、独学ができる人だったりするんです。
※人によって、度合いが異なるだけ。
まとめ
さて、いかがでしたか?
自分にはできないと思っていた独学が、
定義の仕方一つで、
多少なりとも、イメージが変わったでしょうか?
実際、
独学を、小さな分野だけに押し込んでしまうのは、
とても、もったいないことなんです。
なぜなら、
独学は、自分が能動的に生きるか?どうか?
ということに、とても、強く関わっているからです。
ちなみに、
能動的に生きることが何をもたらすのか?
については、エーリッヒ・フロムの言葉を借りたいと思います。
生産的な人物は、彼らが触れるすべてのものを活気づける。
彼らは自己の能力を生み出し、ほかの人々や物に生命を与える。
※生産的な人物とは能動的に生きている人のこと